Mr.ゴミズノの毎日サバイバル月記

毎日この世の中をサバイバルしています。でも毎日書けないので日記ではなく月記です。

バイト・ウォーズ エピソード5 〜イカれた店長、そして私の逆襲〜

大学3年生の12月の終わり、バーガーキングのキッチンのオープンスタッフになった。

まずは都内の店舗で研修兼ヘルプといった形で働いていた。

その帰り道、一緒にシフトが被ったJK3の2人に美容に効くプロテインをコンビニで奢った。ちなみに二人併せて¥4000-。

 

昔の私へ。

 

あのね、こういうのパパ活って言うんだよ。

 

 

そして1月、いざオープン。

序盤は大盛況で常に忙しかったが、それでも賑やかにやっていた。


だが自分は店長にどこか言葉に出来ない違和感を感じていた。

その店長が仕事ができる奴なのは間違いないにもかかわらず。である。

その違和感の理由は後に判明する。

 

そんな中でも私には推しの子がいたからやる気がそれなりにあった。過去記事(https://dobunokonbunobyoubu.hatenablog.com/entry/2022/10/18/232305)にも登場した例のメーテルである。

ああ好きなんだなぁ。キミは完璧で究極のアイドルだなぁ。と思っていた。

(これはパパ活とは言わない。ただの純愛。ということにしておいてほしい。)

 

 

しかしその2週間後、その子は私の前から消えた。LINEのグループからの退会、そして店長から淡々と「家が遠いから退職した」とだけ。

私は膝から崩れ落ちてベランダでタバコを吸いながらGoogle先生で「推しメン卒業 どうすれば」「推しメンバイト 辞めた」「推しメン卒業 乗り越え方」とずっと1日中調べていた以外、その日の記憶が微塵もない。

 

 

そして4月の半ば、

 

店長が重度のロリコンだったことが分かった。

 

当時大学1年生の女子2名と毎日シフトを被せるのは当たり前だったが、家までも毎日送っていた上に「○○ちゃ~ん(^^)」と常に呼んでいた。

それ故にその他の時間帯は人不足であり、ロリコンに好かれない人はシフトに入れないか、まともに会話してくれないかになっていた。

こんな感じなので辞める人は続出するわ、店の雰囲気は悪いわと散々だった。

 

挙句居心地が悪かったのか、ロリコン店長が愛していたJD二人は結局辞めた。

 

最終的にロリコン店長がグループを無言退会。形としては異動らしいが恐らく懲戒解雇ではないだろうか。


追い打ちは新しく来たバビブべという外国人が気に入ってくれたがまあ使い物にならん。何もできん。ふざけんな。


・キッチン超えてドリンクの用意

・肉を焼く機械の修理

→わかる


・上のフロアの掃除

 

→担当じゃないけど力仕事の部分もあるからまだわかる


・クレームの対応

・忘れ物の対応

・エレベーターの修理及び設備会社への電話

・自動ドアの修理

 

意味が分からない。何してんの俺?

 

酷使につぐ酷使で自律神経失調症と思われる病気(医者には行ってない)を発症し、辞めるしかないと判断した。

次どうするかと考えた際に、ロリコン懲戒元店長の言葉を思いだした。

 

『この街にはマクドナルドが3店舗ある為、1店舗ぶっ潰す!』

 

「そうだ、俺マックで働こう。」

こういうのを、禁断の移籍と世間では呼ぶ。

 

約1ヶ月掛け持ちをしていたが、8月後半からシフトを出さない実質休職扱いになった。ただ、もらえる物はもらうという私のスタンスから、

 

わざわざ本社にまでメールをして有給休暇を消化してもらった。

 

新しい店長からすれば、

「俺が来てから一切働いていないどころか顔も見たことない奴が有給を消化しようとしている」

という状況であり、恨んでも恨み切れなかっただろう。

 

 

10月9日の夜22時、私は2つのミッションを遂行するために家を出た。

 

既にもらっていたバーガーキングの退職届を提出するために。

そして、

 

7月から働き始めたマクドナルドの退職届をもらい、その場で書いて辞めるために。

 

バイト4箇所目:バーガーキング

勤務時期:2019年12月~2020年10月(実働は2020年8月)

入った理由:オープニングスタッフで時給が良かった上に元からバーガーキングが好きだった。

辞めた理由:ロリコンがバイトの子に手を出したことにより店が荒れ、さらにロリコン解雇に伴う無法地帯化により自律神経失調症を発症したため。

 

エピソード6に続く。